特殊な国、日本の支社長

特殊な国、日本の支社長

それから数年後H&Mが成熟し、世界進出の時がやってきたと社内の機運が盛り上がってきた時に、最も注目したのは日本だった。しかしこの国はスウェーデン人から見ても、とても異質に見えた。その異質さゆえに、この国の文化にも言語にもはじめから精通していることに加え、社員スタッフや周りの社会から深い信頼を得られる取締役社長というとても優れた人材が必要だった。また、この難しさについて経営陣は皆理解していた。しかし幸運なことに、手近な所に解決方法があった。なんとストックホルム商科大学にあったのだ。

2005年3月にステファン・パーションがピンク色の産業新聞、ダーゲンスインダストリ(日刊産業新聞)紙を開いた時、目にしたのはあるMBAクラスの学生達のグループと卒業後の進路について、おのおのの将来の職業プランに関するレポートだった。

彼らのうちの一人、クリスティン・エドマンは“自分の夢の仕事はH&Mを日本に紹介すること”だと情熱をほとばしらせた。同じ日にステファン・パーションはこの野心家の女性に連絡を取り、どのようなバックボーンがあって、このように言っているのかをロルフ・エリクソンに調査するように指示した。

そこから様々な事が判(わか)った。なによりもクリスティン・エドマンはH&Mを彼女の母国に進出させたいという、心の奥底からの情熱を持っていた。

「私はストックホルムのH&Mを見た時、一目惚れしました。」

彼女は言った。

「H&Mで一番感銘をうけたことはH&Mが家族全員利用できる“one stop shop”を提供していたことです。ストリートからパーティーウェア、スーツ、スポーツウェアまで、家族全員が、どのような場面でも利用できる豊富なファッションを取り揃えていたのです。」

何よりも彼女にはアントレプレナー精神を歓迎し、巨大化はしたものの、今なお個人経営のような社風のスウェーデンの大企業H&Mでの職務にすべてにおいてふさわしいと言える人生の背景があった。

クリスティン・エドマンは日本で生まれ育った。アメリカ人の父親が1960年代末に兵士として日本に派兵された。彼はそこでクリスティンの母親と結婚することになった。そして夫婦でともにアントステラ(ステラおばさんのクッキー)という株式会社を設立した。アメリカ風のクッキーが主な商品だったが、驚くべきことに、素晴らしいことに、周辺商品としてなんと家具と子供服も販売していたのだ!

クリスティン自身もその同族会社で働いたこともあり、入社後スウェーデン人のモノの見方に深い洞察力を身につけることになった。さらに東京のインターナショナルスクールで出会った夫のジェスパーは日本で最も経験豊かな、なおかつ有名なスウェーデン人ビジネスマンの息子だった。(余談だが彼は日本の大学で教鞭をとっている)

夢の仕事が実現できるという正式な確約がないにもかかわらず彼女は迷わずH&Mに就職し、一年間研修を積んだ。その間、H&Mの中核をなすバイイングオフィスや旗艦店などの販売現場などで企業文化を学んだ。当然のようにすぐにチャンスはやってきた。このことに関してはお互いどちらも後悔した事はなかっただろう。

クリスティン・エドマンが2014年11月に京都に店をオープンし、大都市の店舗展開は一巡した。これからは小規模で、人口が百万人程度の中堅都市を次の標的なるだろう。この本を執筆した2014年には日本で100店舗以上を構えるGAPとZARAの店舗数に僅差ながら達していない。また約800店舗を構える日本のユニクロは遠く引き離されている。しかしH&Mは、日本のマーケットはこれで十分飽和状態という感じでは見ていないようだ。

H&M社内でオープニング効果と呼ばれる、ある地域にこのような有名なブランドが来ると自然に人々が抱く興味を、日本人は他の国よりも長く持ち続けた。購買欲は、長期間にわたる開店前の大変長い行列から強く感じ取ることができた。

嬉(うれ)しい誤算だったのは、日本では男性達もファッションに強い興味を持っている事だった。同じような風潮は韓国にもあった。女性達が大変トレンディでお洒(しや)落(れ)に対する意識が高い事はH&Mも知っていたが男性たちもとは考えもつかなかったようだ。

日本は他のブランドのもとでもH&Mの市場になった。2014年春には既に、WEEKDAYというロゴの下で店が一軒あり、Monkiの店が3軒あった。Monkiの方は明らかに日本のストリートファッションからヒントを得ている。少々高級路線の男性や洗練された女性ファッション、COSが日本に上陸するのも時間の問題だろう。各ブランドが全て揃(そろ)いH&Mがグループ企業として活躍する上で足りないのは、上質な女性用の衣類の他、靴、鞄(かばん)、コスメティックが主要な商品だけになった。(2018年時点ではこれらも日本のWEBページに掲載されている。)

また現在計画中のインターネット販売プロジェクトが日本で始まる。このことで更に発展するだろう。

試験的なスタートの後、インターネット販売は今や速いテンポで進んでいる。2014年にはフランス、スペイン、イタリア、それに同年の末には中国でもオープンする。配達を一日でできる物流インフラと成熟したコールセンターの技術を持ち、携帯電話やスマートフォンからの買い物が当たり前になっている日本の潜在的価値は高い。