IKEAからのサポートとユニクロへの追従

IKEAからのサポートとユニクロへの追従

クリスティン・エドマンは、あの恐ろしい東日本大震災が発生した2011年の春は、振り返ってみると結果的に、いろいろな良いことをもたらしてくれたと考えている。

H&Mは長期的な視野を持つ真面目な企業であり、お客様とスタッフの安全に関し真剣に取り組み、妥協する事は一切ないということを示す事ができた。本社は一時的に大阪に移され、東京と横浜の各店舗は休業した。しかし店内の安全を確認し、早いところでは数日後、遅くても地震の1週間後には全ての店舗が再開することができた。

「前面には大きなひびが入っているのに、他の競合店が相変わらず店を開けているのを見て驚きました」

最もひどい衝撃が収まった頃、“H&M loves Japan(H&Mは日本を愛する)”というテーマの下で特別コレクションが発表された。その収益は救援活動にささげることになり、またスタッフ達は仙台とその周辺地域で瓦(が)礫(れき)の片付けのボランティアをするよう奨励された。

「福島のできごとは私達が日本の仲間になれるように、“後押ししてくれた”とさえ言えますね」

H&Mはスウェーデンの小売業者であるIKEAからある程度の助けも得た。ある意味IKEAもスウェーデンでは奇跡的に成長した小売業者だと言えるだろう。この会社は既に日本に定着しており、ほかの会社とシェアできるだけの経験もあった。H&Mは近年H&Mホーム構想(コンセプト)でこの巨大なインテリア企業と競合を始めたが、これら2つの同族会社はもう何年もの間、円満で協力的な関係を続けていた。

その証拠として、10年間IKEAを統率してきたアンダーシュ・ダールヴィグがH&Mの役員会に入ったことや、今年、元H&Mスタッフであるラーシュ-ヨハン・ヤーンヘイメルがIKEAの代表に任命されたことなど、数え上げればきりがない。

IKEAは最初に日本に上陸した時は、12年で(1986年に)撤退してしまった。その後2006年に再進出した。日本を良く知っているトミー・クルベリィ(最初のIKEA Japan社長)はコンサルタントとしてH&Mに迎え入れられ、2年後の日本でのH&Mのオープンを任された。またクリスティン・エドマンは、IKEAの日本の取締役社長と互いによく意見を交換し合った。

「IKEAとH&Mは同じような価値観を持っています。例えばワークライフバランスや女性の役割についてです」

IKEAは、日本で子育てが必要なスタッフのため保育所を開くような先進的な活動をしている。しかし今のところH&M のスタッフの人数はIKEAの三分の一程度であり、また彼らの年齢が若いため、まだあまり大きな問題にはなっていない。

しかし彼女達の挑戦は、その先を見ている。彼女達の挑戦の本質は家族を持ったら職業上のキャリアを諦めるという古い日本の慣習を打ち破る事にある。

「私は何人かのスタッフが子どもを産んだ後に職場に復帰してくれた事を大変誇らしく思っています」

クリスティン・エドマンは言った。彼女自身も産休を二回取り、良い手本を示した。

彼女はお互いの関係性が対等であるH&Mの組織には大きな価値があると感じている。たとえそこに上下関係があり、対立を恐れるような文化とぶつかる時には、摩擦や緊張が生まれるリスクを天(てん)秤(びん)にかけたとしてもである。

「日本ではファーストネームで呼び合う事に慣れるのには時間がかかります。日本の社会や文化を簡単に変える事はできませんから、それは仕方がありません」

しかし上司が残っていても、遠慮することなく帰宅するように奨励したり、休暇取得を推進したり、さりげない質問をスタッフに投げかけたりする事により、多かれ少なかれ日本社会の近代化には貢献していると言えるだろう。

「日本人は伝統的に一週間以上休みません。それは会社が自分を必要としなくなるのを恐れるからです」

「“日本の人たちは自宅を自分の身体の倉庫としてみなすのをやめましょう”というキャンペーンをうち、大きな論議を呼んだIKEAと比べればH&Mは社会の中でそれ程目立たない印象があるかもしれません」

「いくら私達が国際的なファッションブランドである事を望んでも、この企業文化はスウェーデンそのものなのです。しかし日本政府が日本の問題の解決方法を見つけるためにスウェーデンを見ようとしている今、それは必ずしも弱点とは言えないような気がしますね」

私はH&Mの役割として内閣総理大臣、安倍晋(しん)三(ぞう)の導入する社会の変革に、根本から大きな貢献ができるはずと考えている。それは“アベノミクス”は景気を刺激し、人々の給与を上げ、消費を促す事を目的としているのだからである。しかし悩ましいことに低迷する国家財務を正常化するための消費税の値上げが景気の後退を生むリスクもあり、難しいところだと思っている。

話をもとに戻そう。H&Mが自らの商品の価格と日本の店舗の家賃に対して適正なバランスを取れるようになるまでに何年か時間がかかっていたように思われる。人々の消費傾向が把握でき、貸し主である大家に自分達の集客力を示すことができれば、家賃の交渉が簡単になる。

クリスティン・エドマンはH&Mは良いタイミングで日本に進出した、それはデパートの衰退によって良い立地に空き物件、つまりいわゆる出物があったからだ、と言う。しかしステファン・パーションはそうは言っても最初に結んだ賃貸契約は高く、設定した商品価格は安すぎたと考えている。

「その後私達は商品の価格を上げすぎ、もう少しで市場のシェアを失う寸前のところまでいきました。しかし販売量の見込みは十分にあり、たくさんのお客様を囲い込んでいる事もわかっていました。またその後の実績により、もっと良い条件の賃貸契約を結ぶことができました」

またクリスティン・エドマンはUniqlo(ユニクロ)とつながる良い例を挙げた。手頃な価格の衣類というアイデアを用いたユニクロという国内企業の成功があったため、H&Mの進出はうまくいったという面も大きいと言う。

日本人は安かろう悪かろうを嫌う、慎重で品質志向の高い消費者である事は世界的に有名だ。また彼らは店内で店員から世話を受ける事を期待している。例えば普通の店では販売員は試着室まで付いていく。

「ユニクロは日本人のこのような意識を変えるのに、貢献してくれました」

クリスティン・エドマンは述べた。

「値段を考えると彼らの商品は驚く程高品質であり、またサービスの幅を抑えるという概念を人々に浸透させてくれました」

そうは言ってもクリスティン・エドマンはユニクロにはH&Mほどの品(しな)揃(ぞろ)えもファッション性もないと述べる。ステファン・パーションは

「彼らは大変優秀な企業で、成功しています」

と言った後に語気を強め、

「しかし彼らの路線はファッショナブルというよりはベーシックであり、品(しな)揃(ぞろ)えはそれほど広くはありません」

と対抗心を隠さずに言った。

この後半の内容に関しては、彼はむしろ、五番街にできたユニクロのフラッグシップ店の事を言っていたのであろう。そこで目立ったのは、彼らが同じ商品を二箇所でも三箇所でも店内の複数の場所に展示していることだった。H&Mの方針からするとまったく違う展示方法だ。

ある日突然現れ、(少なくてもスウェーデン人はそう見ている)若くして野心に溢(あふ)れ、将来に関する大規模な計画を持つ、そして時々H&Mを思わせるようなファンション企業ユニクロは日本で生まれ育った。2014年現在は販売実績も時価総額もH&Mの半分ほどだが、実質的に創業者で主要株主の柳井正は高らかにユニクロブランドを持つファーストリテイリングが2020年までに世界のトップになると宣言した。

ユニクロはH&Mのゲストデザイナー(北欧人もいる)というアイデアを真(ま)似(ね)た。もし今後更に様々な点で似通ってきても、さほど驚くには当たらないだろう。ユニクロはつい最近H&Mで何年も働いたマーケティング・マネージャーのヨルゲン・アンダションをスカウトしたばかりなのだ。仁義なき人事争奪戦は今後も続くだろう。

H&M最高経営責任者のカール-ヨハン・パーションは、34歳という若さで2009年の夏にロルフ・エリクソンの後任として最高経営責任者社長に君臨してから常に挑戦の日々を続けてきた。スペインのInditex(インディテックス・・・ZARAを傘下に持つ)が販売実績で巻き返し利益に勢いを付けたが、だからと言ってH&Mの業績が悪化した訳でもなかった。

カール-ヨハン・パーションも彼の父親ステファンもこの状況にそれ程追い詰められているわけではなかった。その理由の一つがH&Mにとって不利なスウェーデンクローナの為替相場によるためである。またもう一つはH&Mが莫(ばく)大(だい)な初期投資を行い、利益が見込めるインターネット販売への取り組みを開始しており将来的な成長に向けて強力な投資を行っているためでもあった。

これら巨大な各衣料チェーンのグローバルな競争はうねりを増しており、その最も熱いプレイヤー達は、スウェーデン、スペインそして日本発の三つの同族会社に絞られてきた。

それ加えて柳井正の最大の手本になっているGAPを見過ごすわけにはいかない。このGAPも、特にOld Navyというチェーン店で大々的に日本で展開していた。GAPの世界での販売実績がどれほど速く変動したか述べるならば、2001年にはH&Mの四倍だったにもかかわらず、現在は二分の一あまりに下がってしまっている。

ユニクロを統括するファーストリテイリングと同様にこのUSAの巨人GAPも、スウェーデンのファストファッションの先駆けであるH&Mのトップクラスの有能な社員をヘッドハンティングすることによって更に勢いを増そうとしている。昨年H&Mの事業拡大プロジェクトマネージャー、ステファン・ラーションがなんとOld Navyを統括するために引きぬかれた。その報酬は莫(ばく)大(だい)な金額になり、そのため彼はフォーチュン誌の40歳以下の高額所得者ランキングに入ることとなった。

H&Mは基本的にはそのような事はしない。同じような手を使ったら、弱みを見せてしまう事になるからだ。ただし防衛策として何人かの重要な社員達には、2019年までH&Mに残留することを条件に特別ボーナスが支給される事が約束された。しかしH&Mの責任者の配置と彼らの成長も重要課題であり、スカンディナヴィア人ではない優秀な社員にとっても“ガラスの天井”(マイノリティの社員の昇進がある一定の所で止まってしまうという意味)があってはならない。たとえ本社と主要株主がスウェーデンにあり、社風がスウェーデン的であったとしてもだ。

幸(さい)先(さき)が良かったのは、相変わらずH&Mにとって五番目の大きな市場であるスウェーデンで、あるイタリア人が責任者になった事である。時が熟せば、北欧出身者で固められているストックホルム執行部のトップメンバーの中に別の人種が加わる日も近いのかもしれない。

もしその構成がある程度、H&Mの将来を映し出すのならば、アジア人またはアメリカ人がその地位に就くのが望ましいのではないだろうか? またはその両方になるというのはどうだろうか? 何れにせよ純血主義はグローバル企業においていつかは限界がやってくる。それはユニクロもZARAも同じ悩みを抱えているだろう。